2011/3/8に Rcubic が書きました。 カテゴリー:
日本の英語教育
こちらの続編です。
中学校、高校、大学といろんなことがありました。今では懐かしく思いますが、英語の授業に関しては正直あまり良い思い出はありません。
前にも書きましたが、日本人で実践的な英語力を身に付けていると思える英語教師に出会ったことはありません。では、年齢相応の実践的な英語力を身に付けている帰国子女は、英語教師とどのように渡り合えばよいのでしょうか。僕の経験と、見聞きした話です。
- 英語の発音について
僕はほとんど気にせずに自分の普通の英語を話していましたが、帰国子女の中には目立たないようにあえて日本語訛りで話して元の英会話力を失くしてしまう人もいるようです。僕の場合はカナダ訛りだったので英語と認めてもらえましたが、アメリカの南部やシンガポール、アイルランド等から帰国した場合は訛りで苦労するかもしれません。日本人教師に英語の発音を矯正された話を聞いたことがあります。
それぞれの国・地域で話されている英語は発音や文法に違いはあれど立派な英語なのですが、このような価値観を持っていない人が多いです。
- 教師からの問いかけ、質問
僕は英語の授業中に何度か「こんな言い方するよね」とか「こんな時はこう言うよね」という感じで英語教師から問いかけられたことがあります。そのたびに「いや、それでは通じません」「いや、このような言い方をします」とかバカ正直に答えてしまい、関係は悪化しました。
こんな時は、適当に受け流したほうがよいのかもしれません。
- 教師への質問
僕も何度か質問したことがあるのですが、どうも帰国子女がする質問は英語教師にとっては明後日のほうから飛んでくる、とんでもない、受けたことのない質問になるようです。 質問しても意味なかったし、関係が悪化しただけです。
要するに従順に自分を殺して、おとなしくしていた方がよかったという所でしょうか。カナダで受けてきた教育の逆ですね。日本の教育関係で”多様性”とかという言葉を聞くとうんざりします。まず”多様性”を唱える人の”多様性”とは、”自分の世界の範疇の多様性”です。それを逸脱した場合は、”異質”にすぎません。英語教師にとって、英語の読み書きはもちろん英会話もできる帰国子女はを生徒に持つことは”異常”で”異質”だったでしょう。僕は30年前の帰国ですからね。今では同じことが起こってないことを願うばかりです。
中学生時代の教師とのバトルは、試験のときに僕が”centre”と書いて、バツがついた答案が戻ってきたとき。
カナダは、英連邦加盟国のため、発音はアメリカ北部とほとんど同じですが、綴りはイギリス式でアメリカと異なることがあります。
アメリカ式:center, color
カナダ式: centre, colour
当時このことを分かった上で、絶対的な自信を持って答案に”centre”と書きました。なぜなら、教科書の発音練習用のカセットテープが章ごとにアメリカ北部訛りとイギリス訛りが交互だったから。イギリス式の発音が正しいのであれば、当然カナダで習ったイギリス式の綴りも正しいだろうと考えていました。
でもテストではバッテンがつけられた。このときに僕は本当に怒ってしまい、教師に食いついたのを覚えています。でも教師は自分の間違いを認めなかった。いや知らなかったのかもしれない。僕はめちゃくちゃ怒ってたので「辞書を引け!」と教師に食い下がり、認めさせました。イギリス式発音のカセットの話もしましたが、教師の最後の一言を今でも覚えています。
「高校受験では通用しないよ。」
高校行っても英語には期待持てないなって思いましたが、まさにその通りでした。
中学校では、もう一つ思い出があります。英語教師がどこかで英語でスピーチすることになり、一回そのスピーチを僕に聞いてくれないかと言う。喜んで引き受け、職員室の一角で教師のスピーチを聞いた。当時できうる限りのアドバイスをしたつもりだったが、後日スピーチがうまくいったと聞いてうれしかった。
自分の教えている生徒にこのような形で質問できる、度量を持った英語教師はこの人だけでした。
高校受験は何とか通り、高校に入りました。大学の付属高校で大学受験が必要ない高校だったので、公立高校とか受験校よりはマシだったと思います。
でもやっぱり日本の英語教育は変わらない。最悪だったのが、文法や構文だけの授業。英語ではなくパズル。こんなもん日本でしか通じない。意味不明。
そんなある日、原因は授業中の居眠りだったかなんだったか忘れてしまったが、担任(英語教師でもある)にネチネチ怒られているとき。あまりにネチネチしつこいので、これだけは言わないでおこうと決めていた一言を言ってしまった。しかも授業中に。
「説教するなら、英語でしろ!」
後日、校長室に呼ばれる。びっくりしたのは、校長先生が僕に謝ってきたのだ。「日本の英語教師の資質には問題があるが、現在の日本では仕方がない」ような主旨だったと思う。校長の横には担任の英語教師が顔を真っ赤にして何も言えないでいる。
この一件はこれで終わったが、他にもいろいろあり、僕は高校を2年で中退した。
高校中退してすぐに働き始めアメリカやカナダ出張もしていたら、同時期に高校を中退した友人から大学入学資格検定受験を誘われた。
こんなきっかけで受けた大検だったけど、なんと一発で受かってしまった。調子に乗って大学受けたら、一つ受かってしまった。(このあたりの話は割愛します)
大学の英語の授業が僕にとって最悪の英語の授業だった。何のための受験だったんだ?ここから先は基本的に受験もないだろ。なんでまた同じことの繰り返しなんだよ。などなど。
実は、大学には期待していたことがある。何らかの基準を満たせば、英語の単位を免除してくれるのではないかと。もちろんそんな度量はありませんでした。
英語の単位が必修というのも最悪だった。これは英語に限らないことだが、必修とされる講義はまずつまらない。教員のやる気もない。そのくせ出席等に厳しい。
大学には面白いことがある。僕が出会った大学の日本人英語教員は、誰一人英会話できそうになかった(というかアメリカで買い物一つできそうになかった)が、専門の教授や助教授等には英語ができる人が何人かいること。こんな教授が、専門分野の入門の授業を英語で行い、これを英語の単位とすれば僕だけでなく学生全員にとって有意義ではないだろうか。
大学を卒業すると、進学などもあるけど大多数の人は就職する。僕の時代はそうでもなかったが、採用する企業側は即戦力を期待する。「実践的な英語力」を持つ学生は、間違いなく企業にとって魅力がある。
だからこそ、大学では実践的な英語が身に付くようにしようよ。入学試験も「実践的な英語力が身に付いているか・身に付きそうか」が計れる内容にしようよ。そうすれば高校も中学も変わるから。
こんな感じなんで、結局大学にも行かなくなり、大学も中退しました。
–つづくかも–