記事

「日本人は英会話できない」が世界の共通認識

僕も仕事でアメリカ行ったり国内で飲みに行ったりして外国人と話す機会はありますが、相手と初対面の場合必ず「お前は何で英語が話せるんだ?」と聞かれます。また日本人なのに英語が上手なことを驚かれます。

笑ったのが、北京で英字新聞読みながら飲んでいたときに韓国人が英語で話しかけてきた時。「どこから来たの?」と聞かれて「日本から」と答えたら、信じてくれない。日本人でこれだけ英会話できるのがいるわけないと。

別に帰国子女じゃなくても、ある程度英会話できる日本人はまず同じような経験しているはず。

僕の場合は「子供のころカナダに住んでいたから」と答えると一発で納得してくれます。

他にもいろいろあるけど、「日本人は英会話できない」が世界の共通認識になっている。特に仕事で海外に行くと強く感じる。もう少しはっきり言えば、日本人の英語力は世界中からバカにされています。

原因はやっぱり日本の英語教育。このままで良い訳ないよな。

Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク クリップを追加
 

中国人の英語

1990年代後半、仕事で20回くらい中国に行きました。当時はシステム開発の仕事をしていたので、僕が日本でまとめた要件定義を説明して開発の見積もりをしてもらったり、基本設計を説明して、プログラムを書いてもらうのが仕事。

当時の北京は町中で英語も日本語もまったく通じない絶望的状況でした。たぶん数百回タクシーに乗ってるけど、挨拶程度の英語ができた運転手は一人だけ。2009年に北京に行ったら、タクシーの運転手から”Hello!”と挨拶されてびっくりした。オリンピックってやっぱりすごいな。

出張先の会社は、僕が所属していた日本の会社の関連会社ではあるものの中身は完全に中国の会社。経営者、社員も全員中国人。初めて会話した外国人が僕だったという社員も結構いたみたい。社員は全員中国の大学か大学院を出ている。

その会社で何よりびっくりしたのが、社員のほとんどが英会話できること。僕の英語をきっちり理解して、分からないことを英語で質問してくる。本当に驚いた。しかも彼らは、英語を専門としていない。ほとんどがコンピューターサイエンス等の理系の学科の卒業生。海外経験のある人はほんの一握り。

彼らになぜみんなこんなに英語ができるのか聞いたら、なんと辞書を1冊丸暗記してしまうのだそうだ。日本人みたいに単語帳で単語を暗記するのではなく、用例や例文を含んだ辞書全体を。これくらいできないと大学に入れないのだと言う。

当時の中国の大学進学率は2%程度。受験地獄なんて生易しいものではないんだろう。ちなみに英語ができない人はロシア語やフランス語など英語以外の外国語をやっていたからだそうで。中国で大学を出てれば、実践的な外国語一つ身に着けていると考えても良いようだ。

辞書丸暗記の是非はともかく、完全に日本の英語教育は中国に負けていると感じました。

黄君というすごい奴もいた。彼と最初の仕事は納品先が海外だったので、中国人はビザの関係で面倒くさいので僕と日本人もう一人が納品先に出張し、黄君に東京に来てサポートしてもらうことになった。

例の如く納品時にいろいろ問題が発生し、黄君と連絡を取り合うことになった。会話は全部英語。外国語で電話で会話するのって結構難しいと思うんだけど、黄君は僕の英語を理解し、完璧に仕事をこなしてくれた。

この時は今でも思い出すんだけど、英語でなるべく簡潔に指示出そうとすると、かなり厳しい感じになってしまう。電話しながらいつも黄君に申し訳ないと思いながら電話してたっけ。

しばらく経って、黄君は日本にきて日本の会社に入社した。そして今度は日本で起業した。会社立ち上げた時に飲みに行ってびっくりしたのが、黄君が日本語をマスターしていたこと。でもすごく違和感があった。だって数年前までは、英語で話してたんだから。

黄君以外の当時の中国人も今はほとんどアメリカやヨーロッパ等国外で活躍しているそう。

日本は英語力だけじゃなく、バイタリティでも中国に負けている感じ。

Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク クリップを追加
 

英語教師とのバトル

こちらの続編です。

中学校、高校、大学といろんなことがありました。今では懐かしく思いますが、英語の授業に関しては正直あまり良い思い出はありません。

前にも書きましたが、日本人で実践的な英語力を身に付けていると思える英語教師に出会ったことはありません。では、年齢相応の実践的な英語力を身に付けている帰国子女は、英語教師とどのように渡り合えばよいのでしょうか。僕の経験と、見聞きした話です。

  • 英語の発音について
    僕はほとんど気にせずに自分の普通の英語を話していましたが、帰国子女の中には目立たないようにあえて日本語訛りで話して元の英会話力を失くしてしまう人もいるようです。僕の場合はカナダ訛りだったので英語と認めてもらえましたが、アメリカの南部やシンガポール、アイルランド等から帰国した場合は訛りで苦労するかもしれません。日本人教師に英語の発音を矯正された話を聞いたことがあります。
    それぞれの国・地域で話されている英語は発音や文法に違いはあれど立派な英語なのですが、このような価値観を持っていない人が多いです。
  • 教師からの問いかけ、質問
    僕は英語の授業中に何度か「こんな言い方するよね」とか「こんな時はこう言うよね」という感じで英語教師から問いかけられたことがあります。そのたびに「いや、それでは通じません」「いや、このような言い方をします」とかバカ正直に答えてしまい、関係は悪化しました。
    こんな時は、適当に受け流したほうがよいのかもしれません。
  • 教師への質問
    僕も何度か質問したことがあるのですが、どうも帰国子女がする質問は英語教師にとっては明後日のほうから飛んでくる、とんでもない、受けたことのない質問になるようです。 質問しても意味なかったし、関係が悪化しただけです。

要するに従順に自分を殺して、おとなしくしていた方がよかったという所でしょうか。カナダで受けてきた教育の逆ですね。日本の教育関係で”多様性”とかという言葉を聞くとうんざりします。まず”多様性”を唱える人の”多様性”とは、”自分の世界の範疇の多様性”です。それを逸脱した場合は、”異質”にすぎません。英語教師にとって、英語の読み書きはもちろん英会話もできる帰国子女はを生徒に持つことは”異常”で”異質”だったでしょう。僕は30年前の帰国ですからね。今では同じことが起こってないことを願うばかりです。

中学生時代の教師とのバトルは、試験のときに僕が”centre”と書いて、バツがついた答案が戻ってきたとき。

カナダは、英連邦加盟国のため、発音はアメリカ北部とほとんど同じですが、綴りはイギリス式でアメリカと異なることがあります。

アメリカ式:center, color
カナダ式:  centre, colour

当時このことを分かった上で、絶対的な自信を持って答案に”centre”と書きました。なぜなら、教科書の発音練習用のカセットテープが章ごとにアメリカ北部訛りとイギリス訛りが交互だったから。イギリス式の発音が正しいのであれば、当然カナダで習ったイギリス式の綴りも正しいだろうと考えていました。

でもテストではバッテンがつけられた。このときに僕は本当に怒ってしまい、教師に食いついたのを覚えています。でも教師は自分の間違いを認めなかった。いや知らなかったのかもしれない。僕はめちゃくちゃ怒ってたので「辞書を引け!」と教師に食い下がり、認めさせました。イギリス式発音のカセットの話もしましたが、教師の最後の一言を今でも覚えています。

「高校受験では通用しないよ。」

高校行っても英語には期待持てないなって思いましたが、まさにその通りでした。

中学校では、もう一つ思い出があります。英語教師がどこかで英語でスピーチすることになり、一回そのスピーチを僕に聞いてくれないかと言う。喜んで引き受け、職員室の一角で教師のスピーチを聞いた。当時できうる限りのアドバイスをしたつもりだったが、後日スピーチがうまくいったと聞いてうれしかった。

自分の教えている生徒にこのような形で質問できる、度量を持った英語教師はこの人だけでした。

高校受験は何とか通り、高校に入りました。大学の付属高校で大学受験が必要ない高校だったので、公立高校とか受験校よりはマシだったと思います。

でもやっぱり日本の英語教育は変わらない。最悪だったのが、文法や構文だけの授業。英語ではなくパズル。こんなもん日本でしか通じない。意味不明。

そんなある日、原因は授業中の居眠りだったかなんだったか忘れてしまったが、担任(英語教師でもある)にネチネチ怒られているとき。あまりにネチネチしつこいので、これだけは言わないでおこうと決めていた一言を言ってしまった。しかも授業中に。

「説教するなら、英語でしろ!」

後日、校長室に呼ばれる。びっくりしたのは、校長先生が僕に謝ってきたのだ。「日本の英語教師の資質には問題があるが、現在の日本では仕方がない」ような主旨だったと思う。校長の横には担任の英語教師が顔を真っ赤にして何も言えないでいる。

この一件はこれで終わったが、他にもいろいろあり、僕は高校を2年で中退した。

高校中退してすぐに働き始めアメリカやカナダ出張もしていたら、同時期に高校を中退した友人から大学入学資格検定受験を誘われた。

こんなきっかけで受けた大検だったけど、なんと一発で受かってしまった。調子に乗って大学受けたら、一つ受かってしまった。(このあたりの話は割愛します)

大学の英語の授業が僕にとって最悪の英語の授業だった。何のための受験だったんだ?ここから先は基本的に受験もないだろ。なんでまた同じことの繰り返しなんだよ。などなど。

実は、大学には期待していたことがある。何らかの基準を満たせば、英語の単位を免除してくれるのではないかと。もちろんそんな度量はありませんでした。

英語の単位が必修というのも最悪だった。これは英語に限らないことだが、必修とされる講義はまずつまらない。教員のやる気もない。そのくせ出席等に厳しい。

大学には面白いことがある。僕が出会った大学の日本人英語教員は、誰一人英会話できそうになかった(というかアメリカで買い物一つできそうになかった)が、専門の教授や助教授等には英語ができる人が何人かいること。こんな教授が、専門分野の入門の授業を英語で行い、これを英語の単位とすれば僕だけでなく学生全員にとって有意義ではないだろうか。

大学を卒業すると、進学などもあるけど大多数の人は就職する。僕の時代はそうでもなかったが、採用する企業側は即戦力を期待する。「実践的な英語力」を持つ学生は、間違いなく企業にとって魅力がある。

だからこそ、大学では実践的な英語が身に付くようにしようよ。入学試験も「実践的な英語力が身に付いているか・身に付きそうか」が計れる内容にしようよ。そうすれば高校も中学も変わるから。

こんな感じなんで、結局大学にも行かなくなり、大学も中退しました。

–つづくかも–

Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク クリップを追加
 

日本の英語教育-帰国子女が受ける日本の英語教育

こちらの続編です。

このシリーズは私の体験を基に書いています。カナダから帰国して既に30年以上経ってますのでかなり昔の話です。当時は帰国子女なんてほとんどいませんでした。どちらかと言うと珍しい存在だったと思います。

帰国子女なんて当たり前となった今では学校側も変わったのでしょうか?変わっている学校は確実にあると思いますが、公立の中学校とか高校はどうでしょうか。現在の教育にはあまり詳しくないので、どうなっているかわかりません。

僕にとって日本の英語教育は、はっきり言って苦痛、時間の無駄でした。

今回は、この項をお読みの読者の皆様に僕が体験したことを追体験していただきます。

あなたは「架空の言語」を話す「架空の国」出身で、小学校に入る少し前に父親の仕事の関係で日本に行くことになりました。

日本では、最初の数ヶ月は日本語や習慣が分からず戸惑いますが、日本の公立小学校に入り、友達もでき、半年ほどすると日本語は分かるようになりました。

日本に来て5年が経ちました。日本語も日本人同級生とまったく同じレベルまでマスターしました。会話はもちろん、小学校レベルの読み書きは完璧。

「架空の国」に帰国することになりました。家庭内では「架空の言語」を話していたため、母国語を完全に忘れたわけではないが、中身は完全に日本人。日本語の方がはるかに得意。

架空の国に帰国後、架空の国に慣れようと必死で、小学校の2年間は瞬く間に過ぎてしまう。

近所の公立中学校に入ることになった。架空の国では日本語は必須科目。日本語なら任せろ!日本語の先生だったら、日本語でいろいろ話しができるかも!という気分で中学に入る。もちろんこんな幻想は、打ち破られる。

最初の英語の授業の日が来た。教科書みたら、10分で1年分全部読んでしまった。まぁいいか。授業が始まったと思ったら「あ・い・う・え・お」の練習から。これの読み書きが延々続く。マジ勘弁してほしい。

こんどは教科書の読み方練習。日本語の先生の発音がひどく「架空の国」訛りで、日本語と架空の言語どちらを話しているのか分からなくなる。

「これはペンです」

「これはペンですか」

「はいそうです。これはペンです」

こんな絶対あり得ないようなフレーズを延々練習させられる。今度は本物の日本人が話しているカセットテープで発音練習だ。でもこのカセットテープ、章によって東京弁と関西弁が交互になっている(僕が行っていた中学校では、アメリカ北部訛りとイギリス訛りが交互だった)。

頭がおかしくなりそう。架空の国訛り、東京弁、関西弁の一体どれ覚えろって言うんだ?先生に聞いてみたら、どうやら東京弁と関西弁の差が分かっていないようだった。とにかく「全部日本語だから」という答え。

逃げ出したくなりましたか?ダメです。義務教育ですから。(僕はこのころから英語の授業はまったく聞かなくなりました。中学1年のかなり早い段階でした。)

しばらく経つと、あることに気が付く。何も勉強しなくてもテストでまぁまぁ良い点は取れるが、満点は取れない。同級生で日本語なんてぜんぜん話せないのに満点取るやつがいる。

そう、あなたは日本語の発音記号とか文法が分かっていないし、意識せずに正しい発音ができるから、日本語の抑揚(英語で言えばアクセント)をテストで間違えてしまうのだ。翻訳問題で、教科書に出てこない単語や、自然な言葉になるよう意訳してもバツ。

文法問題がまったく理解できない。「同じ意味で言い換えなさい」って、文章変えたら同じ意味になりっこないじゃん!「当てはまる単語を選びなさい」って、どれ選んでもおかしいじゃん!

高校に進むと、文法がもっとすごいことになってきます。とても日本語とは思えない文章や、古文か時代劇で出てくるような文章が出てきます。

逃げ出したいですか。大丈夫ですよ。高校は中退できます。でも、大学には受からないかもしれません。

大学に行っても、基本的に同じ。日本語講師で日本語できる人はいません。意味不明な文法と、和訳と英訳だけ。でも、こんな日本語授業を何とかやり過ごして専門課程にあがれば、日本語ができる教授に出会えるかもしれません。

大学も逃げ出すのは自由です。日本語は必修科目だから、日本語の単位をとらなければ卒業できません。

つづき

Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク クリップを追加
 

日本の英語教育-なぜ実践的な英語力が身に付かないのか3

こちらの続編です。

実践的な英語には、「読む・書く」、「話す・聞く」(=会話)どちらが大事?

言語は、コミュニケーションの道具。自分の意思を相手に伝え、相手の反応を理解すること。手紙やメールなどの「読み・書き」よりも「会話」の方が実践的だと思いません?世界中には文字のない言語もたくさんあるし、文字の読み書きができない方もいます。でも「会話」ができれば生活に問題はない。

もう一ついえば、あなたの日常生活で、仕事や学校、家庭ではどのような手段でほかの人とコミュニケーションしていますか。もちろん情報の受け手として新聞を読んだり、ネット見たり、書き手として今僕がしているようにブログ書いたりもするでしょう。でも、打ち合わせや電話、立ち話などなど「会話」の方が圧倒的に多くありませんか?学校の授業も本質的には、先生と生徒の「会話」。テレビ、ラジオは「聞く」。

でも日本の学校は「読み・書き」一辺倒。ほんのちょこっとやるのが「聞く」。しかもカセットテープ(今はCD?)。教科書を声に出して読むのは「話す」じゃないからね。単なる音読、つまり「読む」。

日本の英語教育では、実践的な英語力を身に付ける上で一番大切で役に立つ「会話」を一切教えていないことになる。なぜか。

僕の答えは、「学校の先生が英会話できないから」。寂しいけど、この答えしかない。カリキュラムで英会話を教えるように文部科学省が決めても、先生が教えられないんじゃあ教えられない。

話題を変えて、「読み・書き」と「会話」、どっちが簡単?

あなたがどうやって日本語を覚えたか考えてみてください。生まれたての頃は言語も何もなく、感情のまま泣くだけ。でも両親や周りの人が話しているのを聞いて、少しずつ「会話」ができるようになった。3歳くらいになれば簡単な意思疎通ができるようになって、小学校に入るころには日常会話で困ることはほとんどなかったんじゃない?

僕は本当に幸運に恵まれ、日本語と英語をこのような方法で身に付けました。

小学校一年生で、お買い物もできて、レストランでメニューは読めないけど何が食べたいかはっきり伝えられる。体の調子が悪ければ、どこら辺がどのように悪いのか言える。面白いことを言って周りの人を笑わせたり、わがまま言って怒らせることもできる。次の日曜日にどこへ行って何をして遊びたいか言える。親に今日学校でなにやったか、どんな嬉しいことがあったか、いやなことがあったか報告できる。

これだけのことができれば小学校1年生で十分に実践的な日本語を身に付けていると思いません?逆に日本の英語教育を10年受けて、アメリカに行って上記のこと英語で全部できる人がいったいどれだけいるのだろうか。

「読む・書く」は、会話ができるようになった後、小学校に入ってから。

日本の学校教育のせいで「英会話は難しい」ものと考えている人が多いが、「読み・書き」より簡単。足し算ができなくたって会話はできる。日本語の「会話」ができて、「読み・書き」ができない場合は想像できるけど、健常者で「読み・書き」ができて「会話」ができないのはちょっと考えられない。

外国語を学校で習うのだから、赤ちゃんが小学校に入るまでに言葉を覚えた同じ方法をとることはできないけど、「読み・書き」だけの英語教育では絶対に実践的な英語力なんて身に付かない。

もう一点。あなたは日本語を話せるようになるまでに、文法勉強しましたか?あなたは日本語の文法わかりますか?副助詞、間投助詞、終助詞ってなんのことかわかりますか?僕はもちろんわかりません。なんたら助詞はネットで調べました。

今、この年になってもこの質問を日本人英語教師にしてみたい。特に英文法至上主義の日本人英語教師に。

なぜ、英文法教えてるのに英会話できないのか、発音記号読めるのに、まともな発音できないのかと。なぜ、日本語の文法分からないのに日本語話せるのかと。そして、何よりも「英語とは何なのか」と。

つづき

Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク クリップを追加
 

日本の英語教育-なぜ実践的な英語力が身に付かないのか2

こちらの続編です。

日本の学校でおなじみの「以下の文章を和訳しなさい」と「以下の文章を英訳しなさい」。試験の問題は作りやすくて採点も楽かもしれないけど、実践的な英語を身に付けるためにはまったく不要で有害な訓練であり、設問だと思う。

英文があって、それを和訳できたらその英語が分かったって判断するの?その英文をそのまま理解できたら和訳する必要ないし、この方がはるかに実践的じゃん。英語を英語として理解させる訓練せずに和訳させる訓練するのはナンセンスでしょう。それとも英語の時間に日本語の訓練するの?

和訳の場合、なぜか直訳の方がもらえる点数が高かったりする。たとえば、”What are you doing?”は、「あなたは何をやっているのですか?」が正解とされている。普通日本語で「あなたは何をやっているのですか?」なんて聞き方するか?前後の文章によっては「なにやってんの?」や「おめぇ、なにやってんだ!」の方が日本語として自然。でも点数下がるか、もらえなかったりする。すごく不思議だったけど、これも前述の文法教育の弊害だと思う。

学校でいくら和訳の練習しても、訳としては正しくても不自然な日本語になっちゃうから、将来翻訳者にもなれない。

英訳はもっとひどい。英訳の訓練をすると、最初に元となる日本語が絶対必要な脳みそになってしまう。英語で書く時や話すときに必ず日本語の文章を考え、それを翻訳するクセが付いてしまう。周りの日本人を見ているとこのように考える脳みそになってしまっている人が本当に多い。本人は、最初に日本語で文章を組み立てることが当たり前だと思ってしまっている。

自分の言いたいことを英語で考え、組み立てたほうが良いに決まっている。

英語が書けるかどうか試験したいなら、書く内容から考えさせる設問にすればいい。たとえば”What did you do yesterday?”とかね。

英語を英語として理解し、英語で考え、表現するのに学校での翻訳訓練は有害。

そもそも翻訳って自分も仕事でやっていたことがあるけど、かなりの上級者が行う難易度の高い作業だと思う。英語から日本語にまったくおなじ意味で翻訳するなんてほとんど不可能なんだから。

–つづき–

Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク クリップを追加
 

日本の英語教育-なぜ実践的な英語力が身に付かないのか

なんか偉そうなタイトルですが、私の経験を基にした私の意見を書きたいと思います。

まずは自己紹介です。僕は小学生時代のほとんど(1972-1977の5年間)をカナダのトロントで過ごした帰国子女です。日本人学校は週1日の補習校しかなく、現地の普通の公立小学校に通っていました。小学4年生の2月に帰国したのですが、小学生時代は日本語より英語が母語という感じでした。今でも普通に英会話できます。

日本では、中学校3年+高校3年+大学4年と4年制大学を出ていれば合計10年間も英語を学びます。でも学校出ただけで実践的な英語力を身に付けた人を僕は知りません。これはなぜか?

最大の理由は、「学校の先生が実践的な英語力を身に着けていないから」だと思います。実践的な英語力を持たない教師に英語を教わった生徒に実践的な英語など身に付くはずがない。

教師の資質や能力以外にもカリキュラムなどの問題もあると思います。でもこの問題が一番大きい。僕は日本の公立中学校を卒業し、日本の私立高校・大学にもいきましたが、外国人教員以外実践的な英語力を持っていると思える日本人英語教師に出会ったことはありません。

一昔前に英語教師が英会話学校に”駅前留学”するCMがありました。すごく初歩的な英会話を学ぶ内容だったように記憶してます。これ何かのブラックジョークか?なんて思ってました。教師になる前に駅前留学くらいしておけよと。基本的な英会話できるようになっておけよと。日本では微笑ましい光景なのかもしれないけど。

僕の時代にはなかったけど、外国人講師(ALT)の拡充が一番現実的かも知れない。でもALTはアシスタントの立場で、授業を主体的にできるわけではない。授業を行うのは、絶対に日本の大学出て、日本の教員資格を持った(ほとんどが実践的な英語力がない)教師。このあたりもう少し何とかならないか。ALTが主体性を持って教えるられるようにするべき。ALTが母国で英語教育の修士以上をもっていたらOKにするとか、何とか運用を変えられないのかな。

すぐに解決できる問題ではないと思います。今の英語教師を、社会に出て実践的英語を身に着けてる教員免許保有者や修士・博士号保有ALTと総入れ替えするわけにも行かないし。でも何とかしないといけない。

教育システムを実践的な英語力を持つように変えて行かないと、教える先生も生まれない。

次は、高校、大学の入学試験です。最近はずいぶん改善されたようですが、僕の時代にはアメリカ人やオーストラリア人が見ても絶対分からない、日本でしか通用しない英語の文法問題がありました。もちろんこんなもん僕も解けません。

日本の英語教育が文法に偏りすぎてる。英文法が「ジャパンオリジナル学問」になってて、複雑怪奇なパズルになってる。それで難関校の入学試験問題が日本でしか通用しない難問パズルを解くことになってしまい、これを解くために高校まで一生懸命勉強して、大学で全部忘れる。意味ないよね。

日本独特の英文法理論で、英語では【こんな言い方もある】となったとします。でも実はカナダでもイギリスでもアメリカでも「そんな言い方は意味不明」とか「そんな言い方絶対しない」としか受け取られない、ジャパンオリジナル英文法を一生懸命覚えさせられていることになります。万一、アメリカ人の前で大見得きって【こんな言い方もある】なんて言ってしまったら大恥かもしれません。僕の印象では、英文法にうるさい教師ほど英会話というか実践的な英語は苦手でした(もう少し言うと、英会話ができる僕を嫌っていました。「そんな言い方絶対しないよ」とか授業中言ったりしたからな。だって本当に通じないんだもん)

外国語を学ぶにあたって文法は必要だとは思いますが、普通の日常英会話やメールのやり取りだったら、中学校3年間までの英文法で充分だと思います。中学英語文法を極めるだけで充分です。もういい加減ジャパンオリジナルの英文法パズルはやめようよ。

入学試験を「実践的な英語力を身に着けているか」を試す問題にしたらずいぶん解決すると思います。高校、大学に入るためには「実践的な英語」を身に着けなければならなくなる。ついでに入社試験にも取り入れたらいい。民間会社では増えていると思いますが、もっとこんな会社が増えれば大学にいる間も英語忘れないかも。

試験をTOEFLかTOEICにしてしまえばいい。大学入試だったらアメリカかイギリスの高校入試問題の国語(=英語)を参考にするのもいいかもしれない。今よりはマシになると思う。

–つづき–

Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク クリップを追加
 

CNタワー

東京スカイツリーが高さ600m超えのニュースで思い出した。

1976年、カナダのトロントにちょっと前まで世界一だったCNタワーが建ったとき、ちょうどトロントに住んでいてその建築現場を見に行っていた。

印象に残っているのが、頂上部のアンテナの組み立て。巨大なヘリコプターでアンテナのブロックを積み上げていった。カナダらしいのがその一部のブロックに子供に落書きさせてくれたこと。自分の名前を書けば「俺の名前は世界で一番高いところにあるんだぜ」と自慢できる寸法。

これは忘れてたけど、タイムカプセルも埋め込まれているらしい。開封予定はなんと2076年。

内容物:

  • トルードー首相(当時)と各州知事からの手紙
  • 子供たちからの手紙
  • 日刊紙3紙のコピー
  • カナダの紙幣やコイン
  • 建設の記録ビデオ

うーむ。2076年じゃあ手紙書いた人は誰も生きてないような。ビデオも再生できるのかな?

東京スカイツリーはこの前千葉に行く途中、首都高速からチラッと見ただけ。まぁ歴史に残るタワーの建築経過を2本見たということにしておこう。

写真は見つけたらupします。それまではこちらへどうぞ。

CNタワー公式HP 歴史-頂上部の組み立て

Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク クリップを追加
 

インドの言葉

インドでは、数十種類いや方言も入れると100以上の言語が話されているらしい。このため新聞とか出版系の文化が全国で広がらないらしい。言語によって文字も違うから、中国みたいにテレビで字幕をつけて全国放送も簡単にできない。

2回目のインド出張は、日本からニューデリーに飛んだ。ニューデリーでは、地元の担当者と以前のインド出張でお世話になったチェンナイ市(タミル・ナードゥ州・タミル語)の担当者が社用でニューデリーに来ていて、3人で行動することになった。

ニューデリーでは主にヒンディー語が話されているのだが、3人の共通言語は英語。商談中に取引先がヒンディー語で話し始めると、”Speak English!(英語で話せ!)”とチェンナイの担当者が怒りはじめる。とにかく州境を超える(インドでは文化や言語の境界線が州境になっている)とまったく分からないらしい。

タージ・マハルに連れて行ってもらえることになった。3人+運転手でニューデリーから車に乗って3時間、タージ・マハルの近くに着いた。駐車場がどこか運転手がヒンディー語で通行人に尋ねるが、会話が成立している雰囲気はなく、寄って来るのはお土産売りばかり。

この時は知らなかったけれど、州境を超えてウッタル・プラデシュ州に入っていた。無事、タージ・マハルに着いたけど、面白かったのはこの後。

タージ・マハルの門

タージ・マハルの門

タージ・マハル

タージ・マハル

ウッタル・プラデシュ州に入ったら、3人とも外国人になってしまった!いつもは僕にまとわりつく物売りとか体よく追っ払ってくれるんだが、一緒に行ったインド人が二人ともまとわり付かれてる。妙に面白い光景だった。

このとき聞いたんだけれども、タージ・マハル近辺でもヒンディー語を話しているらしいのだが、方言の違いで通じないらしい。

インド人は、海外赴任よりも国内赴任を嫌うと聞いていたけど、なるほどなぁ。

Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク クリップを追加
 

インドですごかったこと

仕事でインドには2回ほど行っています。

いろいろ思ったことはあったが、これはすごかった。

インドで車に乗っているとよく出くわすのが、前に走っている車が止まって、中から人が降りてくる。ここまでは、世界中当たり前の話。インドですごいのは、その降りてくる人数。

小型乗用車でも7-8人はざら。いったいどのように中に納まっているのか気になって、走っている車の中を覗き込むクセができてしまった。とにかく、折り重なるようにして乗っている。車に乗るときも文字通り「詰め込んで」いる。

Rikisha(日本語の”力車”が語源らしい)もすごい。たまにエンジン全開なのに上り坂で時速5キロくらいしか出てないのがいる。僕の感覚だと乗車定員は運転手入れて3名のところ、追い抜き時に見えるだけで6人以上乗っている。定員オーバーというよりも、重量制限オーバー。人がはみ出していようが、足が路面こすりそうだろうがお構いなし。足にはサンダル。

インドのリキシャ

インドのリキシャの流し撮り

たまらなくなって、インド人に聞いた:

僕:”Don’t you have any limits for the number of passengers?”
「インドには、定員ってないの?」

インド人:”No. Because India is a country of freedom.”
「ないよ。インドは自由の国だから。」

あのー”自由”って何か違いませんか?といいたいところだが、真顔で即答されて言葉を失ってしまった。

日本のテレビで人間が鈴なりになっているバスや列車を見てたので、それなりの心構えはできているつもりだったが、そんなもんまったく通用しない”自由”の世界でした。

Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップ このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク クリップを追加
 
Get Adobe Flash playerPlugin by wpburn.com wordpress themes